愛と感謝、思いやりと健康が一番!
癌、膠原病、慢性疾患、精神疾患、をまったく害のない方法で癒して、人生に夢と希望をもっていただきたい。
自立すること
自立とは、自分を信じること

自立とは、ほんとうの自分を生きること

自立とは、自由であること

自立とは、マザーアースの大地にしっかり根ざすこと

自立は「孤立」ではない、「つながりの豊かさ」を感じることができる意識

自立は、他者との違いや個性をお互いに尊重し合えること

自立は、「もたれ合い」をやめること 何か不安定な状況になるとどっちも倒れてしまう共依存から抜け出すこと

自立は、助け合い、分かち合いを、できる意識 たくさんお金があって「自立」しているつもりでも、愛のない人、困っている人へのマザーテレサの言う「愛の反対語」である「無関心」の人もいる

自立は、生かし生かされているこの地球と共生する意識、今の人類は地球を蝕み、たかる寄生虫に堕しています。

自立していないと、まわりの人や社会に環境に振り回されて、自分を見失う

自立は、自力と他力の両方を大事にすること あれかこれかの二元性にとらわれない素直さ

自立は、他者からの施しや助けを素直に受け入れれば良い それは当たり前ではない、おかげさまと感謝できるかどうか、互恵の心を知っていること

自立は、自己犠牲を強いられない。

与える方も与えられる方もしあわせ。

他者へに深い愛がある生き方ができて初めて自立できる

自立は、巨木のように、大地に深く根ざしつつ、たくさんの他者(命)を育む温かさ、愛のある姿。

そして天の高みの悟り(覚醒)を目指して、ずっと成長していく姿

経済やお金の自立だけではない、心(意識)が大事、人の言うことに耳を傾けても左右されず、自分で考える、感じる、そのことを大事にする 決めるのは自分、責任も自分が負う。

自立とは「奴隷」にはならないこと 奴隷は、真実に盲目で、いつも外に答えを求める生き方、権威に弱く、何も考えないで強いものにかしずき従属する生き方 実は自覚なくても、無意識にそういう生き方をしている人が多い。

例えば、テレビの奴隷、会社の奴隷

自立という言葉が今、権力は間違った使い方をしている、自立支援?

その美名のもと、障害者や貧困者などの弱者を切り捨てる制度改悪を進めている

自立すべきはあなたたち、政治家や官僚ではないか?

国民の血税を吸血鬼のように搾取している。

国民のために奉仕することこそがあなたたちの使命。

民衆への愛はあるか、感謝はあるか、謙虚さはあるか?

やっていること見ればそうとは見えない。

強いもの、お金のあるものに、かしづいているおぞましさ。

お釈迦様は、生まれてすぐに七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して『天上天下唯我独尊』と云われた、と伝えられています

本当の自立は、お釈迦様の語った「天上天下唯我独尊」です。

わかりやすく言うと『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれており、この命のまま尊い』ということ。

この言葉を『自己中心』とか『傍若無人』というのは完全な誤解。

他人と比較して劣等感や自己否定をする必要など全くないし、同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない

自立への道を歩むことは、魂の成長(霊的進化)の旅、本当の愛(慈悲)を学ぶ旅です。

日々、その旅を楽しみましょう。





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もし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、
もし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、

本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか。

私からはっきりお伝えしましょう。

そういった人こそ、はやく悟りに至ります。

逆にもし皆さんが、

「いえいえ、私は嫉妬はしません」

「自己中にはなりません」

「私はとても素晴らしい人間です」

などと、ゲームを続けていく限り、

つまり、

悟っていないのに悟った人のように振る舞っている限り、

哀れな人間です。

あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。


それとは逆に、

「私は、悟りを得ていません。これが私の性格です」

「これが私です」

というスタンスを取ってみて下さい。


それの何が悪いのでしょうか。

そのまま生きて下さい。

そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。





自分に投げかける言葉
心が病み易い人は、
どんなことも真剣に考えるから
心が疲れて病気になってしまう。

真面目であればある程、
負担が強くなる。

適度に休ませてあげられたらいいけど、
頑張り屋さんだから
いつも無理しているんだね。

そんなに慌てなくたっていいんだよ。

誰も見捨てたりなんてしないから。

少しだけ休もうよ。





人にはジャンプが必要だ。

ひとりの平凡な女性は、あなたが愛すると、突然変容してしまう。

彼女はもはや平凡ではなくなる。

彼女は、この世に存在するもっとも非凡な女性だ。

これは人が言うように、あなたが恋で盲目になったからではない。

実際、あなたは全ての平凡さの中に隠されている「非凡」を見ている。

あなたはひとりの平凡な女性の中に、女性の全てを、その過去、現在、未来を、あらゆる女性を合わせたものを見てしまっている。

あなたがひとりの女性を愛している時、あなたは彼女の中に『女性なる魂』を見て取るだろう。

突然、彼女は非凡になってしまう。

愛は全ての人を非凡なものにしてしまう。

あなたが自分の愛の中へと深く入っていくと、恐怖が湧き起こる深く入れば自分を失ってしまう。

それで愛の深みを避け始める。

愛の深みはちょうど死のようなものだからだ。

なぜなら、女性は底なしの穴のような存在だからだ。

それに、彼女はあなたを吸い尽してしまうだろうから。

あなたは女性から逃げてしまう。

彼女に吸い尽くされてしまうかもしれない。

それで恐怖がある。

あなたは女性なしでは生きていけない。

けれども、女性と一緒にも生きていけない。

近づけば近づくほど、あなたが消えてしまうから。

あらゆる恋愛には、こういった衝突がある。

ここには危険がある。

愛はあなたのエゴを殺すのだから。

愛はエゴにとっては毒だ。

愛はあなたにとっては「生」だ。

けれども、エゴにとっては「死」だ。

人にはジャンプが必要だ。

もし相手に対する親しみが増し、相手にどんどん近づいて行き、女性の実存に溶けていくならば、彼女はただ非凡な存在となるだけではない。

彼女は「神性なるもの」となるだろう。

彼女は永遠への扉となるのだから。

ひとりの女性に近づけば近づくほど、あなたは感じるだろう・・

彼女が、超越的なものの扉であることを。

そして同じことが、女性が男性へと向かう時にも起こる。

女性は女性で問題を抱えている。

その問題とは、女性が男性に近づけば近づくほど、男性が逃げ始めるということだ。

女性が近づくほど男性は怖れる。

近づけば近づくほど、男性は逃げ始める。

彼女から離れる千とひとつの言い訳を探して・・だから女性は待たなければならない。

だが、待つとまた問題が生じてくる。

女性がイニシアチブを取らなくなると、それは一見無関心のようだ。

無関心は愛を殺しもする。

無関心ほど、愛にとって危険なものはない。

憎しみでもこれよりましだ。

何故なら、少なくとも憎んでいる人とは、ある種の関係を持つことが出来るからだ。

愛は憎しみの中でも生き延びることが出来る。

しかし無関心の中ではだめだ。

女性はいつも難しい状況にある。

女性が自分で進んで何かをすると、男性は逃げ始めてしまう。

進んで何かをする女性に耐えられる男性はいない。

これは底なしの穴が、自分から近づいて来るようなものだ。

手遅れにならないうちに、あなたは逃げ出す。

愛は熟すことが必要だ。

落ち着くための時間が必要だ。

愛には、親密さが必要だ。

深い信頼、誠実さが必要だ。

女性はいつも困っている・・「何をしたらいいのかしら?」

女性が率先してことを始めると、男性は逃げ出す。

ところが女性が無関心なままだと、やはり男性は逃げ出す。

それで彼女は中途の立場を選んでしまう。

ほんの少し率先的で、ほんの少し無関心で・・ふたつを混ぜ合わせてしまう。

これはいい状態ではない。

何故なら、こういった妥協は、あなたが成長するのを許さないからだ。

妥協は、あなたが成長するのを決して許さない。

妥協は計算高さ、ずる賢さだ。

妥協は仕事上のものだ。

愛のものではない。

愛し合うふたりが、本当にお互いを怖れず、エゴを落とすことをためらわない時、

彼らはお互いの中へと飛び込むだろう。

そして、深く飛び込めば、ふたりは相手と一緒になってしまう。

彼らは実際、ひとつになってしまう。

このふたりの間の統合が起こる時、愛は祈りへと変容する。

この統合が起こる時、突然、神が愛を訪れる。





【ポジティブに生きる】
人はなぜ「宗教」を求めるのでしょう




それは自分を信じられず、自分を助け導くモノに依存したいからです。

 

病気になれば大半の人々は、既存の又は、新興の神や仏を頼って『助けて下さい』と祈ります。




過去の『心の生活習慣』や『体の生活習慣』を変えずに、




どんなに祈っても神は助けず、結果は変わりません。




神は、自分で生きようと努力し、自己執着せず、治ったら人のために行動しようとする人に対して、密かに援助するのです。




人間には、イマジネーションという神の意志と同じような能力が

備わっています。

 

人間に、それを自覚する力がないだけです。

 

出来る所まで努力する。

後は、天命を待つ心境になれば、結果がどうであれ、

その結果に対して最高の状態を与えられたと感謝できるのです。




これがポジティブに生きるということです。




これからの生き方は、

自分の人生を、今回の一回限りの人生と考えずに、

永遠の時間の中の「今」と考えて生きることが大切です。




過去や未来に生きるのではなく、「今」を生ききるのです。




困ったことが起きると、日頃は信じていないのに、神仏に頼って行動する、

 

すなわち自助努力を放棄する生き方は、感心しません。

せっかくの今回の人生を、途中放棄したことになります。




宇宙を統一している叡智、神を信じることと、

何らかの宗教に入団して教祖の言を信じることとは全く異なります。