愛と感謝、思いやりと健康が一番!
癌、膠原病、慢性疾患、精神疾患、をまったく害のない方法で癒して、人生に夢と希望をもっていただきたい。
死は最大の神秘だ。

生における最大の神秘は生そのものではなくて、死だ。

死は生の絶頂であり、生の究極の開花だ。

死において、生のすべての総計が出され、死においてあなたは到着する。

生は死に向かう巡礼の旅だ。

生まれ落ちたその日から、死が近づきはじめている。

誕生の瞬間から、死はあなたのもとに近づきはじめ、あなたは死に向かって進んでゆく。

人間のマインドに起こった最大の悲劇は、彼が死に対立するようになったことだ。

死に対立することで、あなたは最大の神秘を取り逃がしてしまう。

死に対立することはまた生そのものを取り逃がすことでもある。

なぜなら、それらは互いに深くかかわりあっているからだ。

それらは別々のものではない。

生は成長であり、死はその開花だ。

旅と目的地は別々のものではない。

旅は目的地において完結する。

死は高まりゆくものの頂点として受けとめられなければならない。

それによって異なった視野が開けてくる。

あなたは死を避けないようになり、死に対立しなくなる。

その神秘に身震いし、それを楽しむようになり、それについて黙想し、瞑想するようになる。

死はさまざまな形でやってくる。

あなたが死ぬことは、死の多くの形のひとつにすぎない。

あなたの母親が死ぬとき、それはあなたの死でもある。

母親はあなたに深くかかわり、あなたの存在の大きな部分を占めていたからだ。

その母親が死ぬ。

あなたのなかのその部分も死ぬ。

あなたの父親、兄弟、姉妹、友人が死ぬ。

敵が死んだときですら、あなたのなかの何かが死んでしまう。

なぜなら、敵もあなたの一部と化していたからだ。

あなたは何かを失って、何かが欠けてしまい、もはや二度と同じではない。

だから、死はあなたが死ぬときだけに訪れるのでわない。

死は多くの道を通ってやってくる。

死は常にやってきている。

子どもの幼さが消えて、青年になるとき、あなたには見えないだろうか?そこに死が起こる。

子どもの日々が終わり、子供の日々が死んで、その扉が閉ざされる。

後戻りすることはできないし、取り戻すこともできない。

それは永久に去ってしまう。

子どもとしてのあなたは死んだ。

いつの日か青春は老年へと移り変わる。

またそこでも死が起こる。

数えきれないほどの死がある。

実際のところ、深く、貫くように見るなら、自分が刻一刻と死んでゆくのを見ることができる。

なぜなら、あなたは刻々と変化しているからだ。

何かがあなたの存在から抜け落ちてゆき、何かがあなたの存在の中に入ってくる。

一瞬一瞬が誕生と死だ。

あなたはこの二つの堤、誕生と死のあいだを流れている。

あなたの生の川は誕生と死があってはじめて流れることができる。

しかもそれは刻々と起こっている。

死はきわめて静かに起こる。

その足音を聞くことはできないし、それはどんな音もたてない。

それは起こり続けている。

あまりにも絶え間なく起こるので、あなたはそれを見ようとしない。

明白すぎるからだ。

明白なものは忘れられ、生の一部になってしまう。

あなたは突然起こることにしか注意を払わない。

不意のものごとにしか注意を払わない。

そして死は絶え間ない。

だからあなたはそれにいかなる注意も払わない。

・・・

どこかで誰かが死ぬと、死は必ずあなたの扉をもノックする。

人間だけではない。

犬が死に、カラスが死に、木の葉が色あせて木から落ちる。

あなたは死んでゆく。

なぜなら、私たちは互いと入り交じりあい、互いの一部となり、互いの一員となっているからだ。

人間は孤島ではない。

私たちはみなある種の結びつきのなかにある。

そして死は世界中で、刻一刻、無数の形で起こっている。

<存在>は死を通して生き、死を通して自らを更新する。

死は最大の神秘だ。

生よりさらに神秘的だ。

なぜなら、生は死へと向かう巡礼の旅にほかならないからだ。




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【なぜ電話遠隔で症状が即効に改善するのか】
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毎日全国の難病・重病・ガンのクライアントさんの
遠隔浄化をいたしておりますが、終了後に確認すると
痛みや不具合の症状がものの数分の施術で改善している
ケースが殆どです!

見える世界の施術・治療は病院の先生や施術家、
各種セラピストさんでも対処対応できますが、
実は病気の本当の原因は、見えない世界にこそ
隠れ潜んでいるものなのです。

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思考・行動・言葉~生き方全般の間違いは
その人自身の反省・悔い改めが無いと
肉体の命に宿る本当の「治癒力」(神の力)は発動しません。

私の施術はその力の発動を促すお手伝いなのです。

奇跡的な力は決して私のものでは無いのです。

なのでお相手の方の「受容肯定」「反省謝罪」「感謝」の言霊や
想念の協力が無いと、大自然の元(宇宙の根源)からの
浄化のお許しがいただけないことになっています。

お許しが出た段階で、「原因浄化」心霊魂の「完全浄化」で
あっという間に症状が改善するのは、法則どおりの
結果が出たということになります。



霊障を受けていると感じる人への応急処置です。
身体を温めること

霊的な影響を受けやすく、体調を崩したり、
霊障を受けていると感じる人への応急処置です。

その時に塩はとても強い味方になってくれます。

具体的なやり方としては暖かいお湯、できれば番茶など、
陽性の飲み物に、良い塩を少量とかしてしっかりと飲む。

良い塩を溶かしたお風呂で身体を温めるといった事
とにかく身体を温めることです。

そして、塩のゼロ浄化作用で、
身体からマイナスのエネルギーを抜いてもらう。

これは、霊的なものと、波長があってしまう人は、
一旦、精神を開放してしまうと
良いもの以外の想念まではいりやすくなっているからです。

冷え性の方は、大体、足が冷たいといいますね。

確かに、冷たい物は、足の方から入ってきます。

足が冷える、足がむくむ、足が痛い、こういった、症状の時には
とりあえず、お塩で、足を洗ってあげてください。

おそらく、一方の足だけから、ボロボロと汚れが出てくるはずです。

これは、霊的にも、身体的にも、バランスが崩れているからです。

身体的なバランスを矯正するには、整体などの治療が必要ですが、
スピリッチュアルな問題であれば、塩で洗い浄めてあげる事と、
良いお塩で温めてあげる事をお勧めします。

そして、何よりも大切な事は、まちがった食事をしない事です。




超能力
超能力

超能力があるのかどうかは知りませんが、調べてみると超能力と呼ばれるものはなかなか面白いことがわかります。

定義としては今日の科学では合理的に説明できない能力や現象を指すと思われますが、今日の科学がショボすぎるうえに嘘つきなので、どこまでを超能力とするのかその線引きが難しいですね。

大きく分けると超能力にはESPとサイコキネシスに分けられるそうです♪。

wikiによるとインドのヨーガの領域では「シッディ」(悉地)、仏教では「神通力」などと呼ばれるとか。

実際の研究ではテレパシー、予知、透視、念動力、サイコメトリー、瞬間移動、念写、発火能力などに分けられるようですね。

有名人としてはエドガー・ケイシーやユリ・ゲラーなどがいますけど、会ったこともないのでホントにそんな能力を持っているかどうかはさっぱりわかりません♪。

アメリカ合衆国の大学教授 千百名の、ESPに対する見解について、1979年に調査が行なわれたことがあるそうです。

それによると、心理学者については、「ESPは確立した事実だ」あるいは「ESPは存在する可能性がありそうだ」と考えている者が34%もいたらしく、心理学者以外の大学教授では、「ESPは不可能だ」と言った者はわずか2%であったとか。

ま、この研究もホントかどうかは良くわかりませんがね。

この超能力を考えるときに参考になるのが懐疑主義だと思います。

wikiでは山本弘の『超能力番組を10倍楽しむ本』を紹介し、テレビ業界が視聴率や利益を優先するあまり、インチキな番組を作りあげてしまうしくみについて分析していると書いています。

その本の中にある父親が子供に語る設定でのセリフは、なかなか本質をついていると思うので紹介しましょう。

父親「大切なのは批判的な眼でテレビを見るということだね。

(...中略)こういう態度を懐疑主義(スケプティシズム)というんだ。

気をつけなくてはいけないのは、スケプティシズムは否定論とは違うってことだ。

『超能力はみんなウソだ!』とか『あんなのはインチキに決まっている!』などと頭ごなしに否定するのは正しい態度ではない。

「本当かウソかは、調べてみるまではわからない」

「テレビで超能力者のパフォーマンスを見て、それがトリックかどうか判断できなかったら、とりあえず『ふしぎだなぁ』とだけ思っておけばいいんだよ。」

「急いで結論を出す必要なんかどこにもないだろう?」

「今はまだわからない」というだけのことで、データがもっと集まれば真実が見えてくるかもしれないのだから」

我々がもっている科学なんて言うものは初歩中の初歩であり、インチキの極みであるばかりか捏造ばかりされているものです。

古代の民族でもテレパシーに類するものがあったのではないかと疑われています。

重要なのは、好奇心、探究心、左脳だけで考えないこと、事実をしっかり把握すること、疑う心、人間の無力と無能さを知ることではないかと思います。





『あの世』と『この世』の「繋がり」の詳細はいぜんとして謎に包まれています。
『あの世』と『この世』の「繋がり」の詳細はいぜんとして謎に包まれています。

あるいはかなり自由度の高い、抽象的な「繋がり」なのかも知れません。

人間は、『あの世』、すなわち『無意識層』と対話することにより、その魂が、より高いレベルへ変容する、というものです。

「あの世との対話」の手段として究極の方法論は「瞑想法」のようです。

意識を「より高いレベル」に成長・進化させることです。

意識がどんどん高いレベルに成長・進化すると、やがては『悟り』の状態に近づきます。

『この世』と『あの世』、『意識』と『無意識』、あるいは『小我』と『大我』などが渾然一体となった状態です。

「統一(サンスクリット語:ヨーガ)」されてしまえば、日常の意識レベルで、「アカシック・レコ-ド」に自由にアクセスできるようになります。

「統一」に近づくと人間性は次第に「神」に近くなり、
仏教で言う「仏性」、キリスト教で言う「無償の愛」を示すようになる。

人間の存在は、「あの世における 壮大な無意識のネットワーク」が投影されたモノであり、人間が、「あの世」の価値観を踏襲しているのはむしろ当然です。