愛と感謝、思いやりと健康が一番!
癌、膠原病、慢性疾患、精神疾患、をまったく害のない方法で癒して、人生に夢と希望をもっていただきたい。
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意識の境地はふたつしかない
意識の境地はふたつしかない
― ひとつは愛、
もうひとつは愛の不在だ。
もしくは、あなたが好むなら
目覚めの境地と眠りの境地、
宗教的な境地と非宗教的な境地
と呼んでもいい。
どんな言葉で呼ぼうと違いはない。

意識はふたつの形を取り得る。
いわゆる「俗世」は
愛のない意識の境地だ。
愛を欠いて存在を見るとき、
それは俗世と映る。
あなたの目に愛が満ちているとき、
それまで俗世と映っていたものは、
突然、一瞬にして、神性になる。
俗世は現実ではない。
だが、神もまた現実ではないということを
理解しなさい。それらは単に
存在の二通りの見方だ。
愛のない目は俗世を体験し、
愛に満ちた目は神性を体験する。

問題は何を見つめるのではなく、
どう見つめるかだ。

見るものに価値があるのではなく、
どう見るかだ
― なぜなら、見方があなたを決めるからだ。
神性が見えないとき、
そこには神性はないのだ、
と考えてはいけない。
ただ、自分の目の中に愛がないことに
気づいていなさい。
俗世が見え、
俗世しか見えないとしても、
そこには俗世しかないなどと
考えてはいけない。
あなたの目に愛がなく、
愛を欠いているのだと理解しなさい。
あなたの目に愛を欠いているなら、
どんな体験が訪れようと
それは幻であり、偽りだ
― なぜなら真理を知るすべは、
愛において他はないのだから。

それはまるで、
ヴィーナを弾いているのを
目で聞こうとしているようなものだ
― 何も聞こえはしない。
目は聞く手段ではないし、
目で聞くことはできない。
ヴィーナが演奏され、
音楽が響いているが、
あなたには聞こえない。
それに繋がるための媒体を
用いていないからだ。
音楽は聞くべきものだ、
見ることはできない。
聾唖の人が坐って、
弦を弾く演奏家の指を
見ることはできるが、
弦と指の間に起こっている
マジックは聞こえないだろう。
目で聞くすべはない。

それはまるで、耳で
花を見ようとするようなものだ。
花々は咲き、
その香りは風に乗り、
ミツバチや蝶はそれを知る。
その知らせは、
てんとう虫にも届くだろう。
だが耳を花のそばに寄せても、
何も見ることはできない。
耳にはわからないだろう
― いつつぼみが開いたのか、
いつ花になったのか、
いつその周りに香りが立ちこめたのか、
いつ香りが拡がったのか、
いつつぼみが花になり
宇宙にその身を捧げたのか、
いつ開花の瞬間が訪れ去っていったのか。
耳では何もわからない。
目と鼻が必要だ。
正しい手段が必要だ。

あなたが俗世の他は
何も見えないというとき、
それは単に、
いままで身に着けてきた
見方のせいで何も
見えないからなのだ。

私は知っている。
あなたが「神はどこにいるのですか?」と
尋ねるとき、
本当は「愛はどこにあるのですか?」と
尋ねていることを。
というのも、
愛のない神がいるだろうか?
あなたは神のことを言っているのではなく、
自分のこと、
自分が愛の目を持っていないことを
言っているのだ。
私はあなたがこの理解を
手にすることを願っている。
そうすれば、神を求めなくなるだろう。
それは誤った探求だと理解して
― あなたは愛を求めるだろう。

愛を知る人は神性を知る。
愛において他に神はない。

愛は神より偉大でさえある。
なぜなら、あなたの目に
愛が溢れていなければ、
神性との繋がりはあり得ないからだ。 
あなたの耳は偉大な音楽より貴重だ。
なぜなら耳がなければ、
もはや音楽は存在しないからだ。
そして、私は言おう、
あなたの目は最も美しいランプよりも貴重だ。
あなたの目に比べれば、太陽は小さい。
数学的な見方をしてはいけない。
そうすると、
あなたの目はとても小さく、
太陽は巨大だと思うだろう。
そしてもう一度、繰り返そう。
あなたの目は巨大で、太陽は小さい
― というのも、
あなたの目なくして
どこに太陽があるのだろう?
あなたの小さな目で
何百万もの太陽が見える。
そしてあなたの小さな愛の鼓動の中に、
永遠の神性が含まれている。

あなたの愛は広大だ。
この事実をもっと明白に理解すれば、
さらに役立つだろう。
なぜなら、旅の第一歩が誤って踏み出されたら、
ゴールは永遠に失われるのだから。
第一歩が正しく踏み出されたら、
旅の半分は既に完結している。
正しい方向へ出発しているなら
既に道のりの半分は到達している。
もはや到達は難しくない。
単に時間の問題だ。

しかし間違った一歩を踏むと、
何生も何生も歩き続けることになる。
どれだけ歩いても、
どんなに早く走っても、
どんな努力や財力の限りを使っても、
何も起こらない。
もしかすると、
逆の状態すら陥るかもしれない。
頑張れば頑張るほど
遠ざかり、
走れば走るほど
距離は広がってしまう。
間違った方向へ走ると
誰もたどり着けない。
むしろ、
ゆっくり歩いても
正しい方向へ
向かった人こそ
たどり着いてきた。
そして知る人は言ってきた
― 方向が正しいのなら一歩も必要ない。
ゴールはまさにあなたのいる場所だ。
私も言おう
― 動く必要すらない。
なぜなら、ゴールは遠くに
あるのではないからだ。
ゴールは
あなたの目の中に、
まさに、
あなたの
物の見方の中に
ある。

OSHO
「.シャワリング ウィズ クラウズ
 女性の覚者 サハジョの詩」





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