愛と感謝、思いやりと健康が一番!
癌、膠原病、慢性疾患、精神疾患、をまったく害のない方法で癒して、人生に夢と希望をもっていただきたい。
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人々は変化を 心底から恐れ、 変化に対して 大きな恐怖を抱いている。
人々は変化を心底から恐れ、変化に対して大きな恐怖を抱いている。

ものごとがよい方向に変わってゆくときでさえ、恐れる。

彼らは新しいものを恐れる。

マインドというものは古いものには実に賢く振る舞えても、新しいものに出会うと必ず当惑するからだ。

マインドは新しいものを再びイロハから習わなければならない――誰が習いたがるだろう?

マインドは世界をそのまま停止させておきたい。

社会が法を遵守し、古い型を守るのはまさにこのマインドがあるためだ。

世界中で数限りない人々が因襲にとらわれている。

なぜだろう?そこにはかなりの資本が投下されているにちがいない。

これは投資だ――
誰も学びたくはないし、誰も成長したくはないし、誰も新しいものに慣れ親しみたくはない。

人々はどこまでも古い型を守りつづけようとする。

が、そうなると当然、退屈してくる。

そこで彼らは「どうして退屈なんだろう?どうすれば退屈せずにすむだろう?」と言う。

彼らは自分たちで退屈をつくりだしておきながら、退屈をつくりだしたそのからくりを見ていない。

大勢の人が私のもとにやって来て、自分は退屈していると言う。

「どうすれば退屈から抜け出せるでしょう?」と。

退屈が問題なのではない。

退屈は副産物だ。

問題の奥にあるのは、新しいものを探求する用意ができているか?

冒険に出る用意ができているか?
ということだ。

冒険とは賭けることだ。

それはよくなるかもしれないし、これまで知っていたよりもさらに悪くなるかもしれない――

それは誰にもわからない。

それに関してはひとつも確実なことは言えない。

生で唯一確かなのは、それが不確かなものであるということだけだ。

人は不確かさより他には何も当てにすることができない。

新しいものは人をひどく不安にさせる。

彼らは古いものにしがみつく。

世界に因襲にとらわれた人々がいるのはそのためだ――
彼らは無用な重荷になっている。

彼らのおかげで世界はよどんでいる――
彼らは古い型を踏襲することにこだわりつづけている。

例えば、
インドの歴史はほぼ五千年に達するが、マヌがつくりあげた社会構造はそのまま残っている。

それは当時は良いものだったかもしれないし、何らかの意義があったにちがいないが、
五千年が経ったというのにインドにはいまだに不可触賎民がいる。

触れることすら許されない人々がいる。

彼らは人間ではない。

正統派を自認する者たちは彼らの影にさえ触れない。

かつてはそうだった。

今でもいくつかの村では、不可触賎民、スードラが通りを歩くときには
「どうかわきによけてください。そちらに行きますよ」と叫ばなければならない――
というのも、カーストの高い誰かに影が触れると罪になってしまうからだ。

彼は叩かれ、へたをすると打ち殺される!
今でもこの罪を着せられ焼き殺される人々がいるが、この愚劣な社会構造は五千年も生き延びてきた。

これほど非人間的なのに!
これほど非民主主義的なのに!

インドでは民主主義が成功しそうにないのはこのためだ。

ヒンドゥー教の精神そのものが民主的ではない。

精神構造のすべて、心理的な条件づけが民主主義に反しているのに、どうして民主的な国をうまくつくりあげることができるだろう。

民主主義において最も大切な基本は、万人が平等であるということだ。

誰かが誰かよりも価値においてまさるというわけではない――
ところがヒンドゥー教徒はそれを受け容れることができない。

事実、スードラ、不可触賎民は人間として認められていない。彼は人間ではなく、家畜扱いをされている。

女を人間と見なすことはできない。

女性もまた家畜扱いをされてきた。

さあ、この種の精神――それがどうして民主的になりえよう。

だから民主主義の名のもとにあるのは混沌以外の何ものでもない。

なぜなら、民主主義の基盤が存在していないからだ。

だが、この国は五千年にわたりこの社会構造とともに存続してきて、それを手放す用意ができていない。

この構造のどこに美点があるのだろう?
美点などどこにもありはしない。
それはただただ醜く、おぞましく、忌まわしく、吐き気をもよおすほどだ!

人々はあまりにも長くそれと暮らしてきたので、もう他のことは何も学びたくない――ただそれだけのことだ。

彼らはそれとともに生きてゆきたい。

彼らはそれがあると安心することができる。

彼らはどんな変化も毛嫌いしている。

いいかね、
この傾向は多かれ少なかれどんな人間のなかにもある。

あなたは変わりたくはない。
あなたは変化を恐れている。

なぜなら、変化とともに新たな挑戦が生まれるからだ。

そしてあなたは新しい状況に対処できるかどうか不安に思っている。
古いものならうまく扱えるし、手際よくさばけるから、古いものに寄り添っているほうがましだ。
古いものは意のままに操ることができる。

新しいものはどうなるかわからない。

思い通りになるかもしれないし、思い通りにはならないかもしれない。

学ぶことができるのは子どもたちだけだ。
子どもたちには何も過去がないので、しがみつくべき古いものがいっさいないので、いつでも喜々として学ぶことができる。

大きくなればなるほど学ぶことができなくなる。
13歳位で、人々は学ぶことをやめる。
それが彼らの精神年齢になる。

探求者であるなら、あなたは絶えず学びつづけなければならない。
生きることは学ぶことだ。
学ぶことはけっして終わらない。

死の瞬間においてすら、探求者は学びつづける。
彼は死を学ぶ。

彼はいつでも変わる用意ができている。

水は変化する要素を、永遠の変化を、流動的な現象を表している。

いつでも変化でき、過去を忘れ、過去を許すことができ、瞬間とともに進んでゆく用意のある者たちこそが真の人間だ。

なぜなら、彼らは冒険家だからだ。

彼らは生の美を、生の祝福を知っている。

そして生はその神秘をこのような人々に、このような人々にだけ明かしてくれる――
なぜなら、彼らはそれに値するからだ、みずからの手でそれを稼ぎ取ったからだ。

賭けることで、彼らはそれを稼ぎ取った。
彼らには勇気がある。





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