愛と感謝、思いやりと健康が一番!
癌、膠原病、慢性疾患、精神疾患、をまったく害のない方法で癒して、人生に夢と希望をもっていただきたい。
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期待を手放していく
人はおかしな生き物です。なぜならわたしたちは常に何かが足りない、充分でない、あるいは何かが間違っているかもしれないという思いに囚われ、感情的に精神的に行き詰っては不安になります。
 
 
そして戀愛や仕事に滿足できずに惱み、人間關係が自分の思ったように運ばないといっては落ち込むのです。

ですが問題はそういった出來事にあるのではなく、眞の問題は實は『自分自身に期待を抱いていること』にこそあるのです。
 
 
そうしてわたしたちは自分にはできるはずだと期待することで、わざわざ失敗や失望を呼び込んでいるとも言えるのです。

かくいうわたし自身も、そうした期待と格闘してきたものです。
 
 
わたしは現在こうして公けの活動をすることが増え、人々の前で話すことや、以前よりも多くの責任を引き受けるようになってからは、一層「期待」ということについて學ばされています。
 
 
つまり、いかにして自分自身に期待を抱かないでいられるか、また、外からの期待に応えようとして惱まないでいられるか、といったことなどです。
 
 
期待に無駄なエネルギーを費やすべきではないのです。

ある聖者は、この世でのわたしの仕事は、「精一杯に神意(あい)に生き、どんな人にもその人なりの生き方があることを認めることだ」と言いました。
   
  
そして、「自分自身のメッセージを聴衆に信用させ、受け入れさせることではなく、ただひたすらメッセージを傳えることなのだ」とも。そして聖者の一言はわたしの認識を改めさせました。
 

  
『あなたの役目は水に一石を投じることであって、それによってどれほどのさざなみが立ち、それがどこまで広がっていくかは、あなたのあずかり知らぬことなのです』
 
 
 
『期待とは、すればするほど失望を呼び起こし、疑いや挫折感や、他者に対する評価をもたらすものである』



わたしはこの言葉を忘れたことはありません。

他人からの期待や自分自身への期待に応えようとして、その重圧に押し潰されそうな時、あるいは他人からの評価が氣になって仕方がない時に、こう思う必要があります。
 
   
 
『全力で石を投じたら、あとは何も期待しない』
 
 
 
それは自分自身や他人を評価しないということであり、そのためにはぜひ覺えておくべきことです。

わたしも自分自身の心の衝動に従い、他人にどう思われようが、自分自身を貫いています。
    
  
わたしたちは自分の言葉や行動が、人からどう受け止められているかが氣になるものですが、しかし氣にしたとしてもその先に何がどう生まれるかは、わたしたちにはコントロールのしようがないのです。
 
 
 
『わたしたちにできるのは、もっとも偉大な魂の深いところから發せられる求めに従って話し、行動するだけなのです』
 
 
  
その結果、神意(あい)されようが憎まれようが、嫌われようが、失敗しようが成功しようが、何をかまうことがあるでしょうか。

わたしたちはひたすら、執着と期待から自分を解放するために努力するだけなのです。
 
 
そういった思考パターンは、わたしたちがこの世に生まれてきた魂の目的を妨げるものであり、それを變えていくことは非常に重要な一歩です。
 
 
わたしは毎日、これからどうなるのかといった先行きの不安を振り払い、自分がこの世に生まれて來た目的だけに心を留めるように常に心がけています。

そしてあらゆる期待を抱かず、時に険しそうな道ではあっても、心の求めに従って進むように努力をしています。
 
 
こうあるべきだとか、こうならなければおかしいといった期待から自分を解放し、魂の求めに従ってあるがままを受け入れる時、そのとき一瞬一瞬を精一杯生きることができるのです。

これがマインドからハートで生きる意味になります。






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